千鳥ヶ池公園にある「千鳥ヶ池」には色々な言伝えが残っています。そのいくつかを紹介します。
① 皆さんが一番良く耳にされる物語です。
『昔この池の畔に仲睦まじく暮らす若夫婦が住んでいた。
その妻は、冠(今の福間)から嫁いで来た者で、名を千鳥という。
妻は、よく働いて、透き通るような白い肌、きちんとした身だしで何一つ非の打ちどころがなかった。
しかし、この嫁に一つ不思議なことがあった。 それは、夫が外から帰って来た時に は、必ず咳払いをして家に入ってくれと熱心に願うことだった。
ある日、夫は、なぜだろうと 我慢しきれずに、ソ-ッと覗いてみると、最愛の妻は蛇身となって焔のような赤い舌でペロペロなめて、髪を整えていた。
夫が覗いたことを知った妻は、側の池に投身し池の主になった。 それからこの池を「千鳥ケ池」という。』
②『天正の頃、冠山・熊野神社の神職・中村兵部に千鳥という才色兼備の姫がいた。
姫には婚約者もあったが彼は修行のため諸国霊場の巡礼中であった。その頃、近郷の富豪が姫のうわさ話を知り息子の嫁にと所望し、権力にまかせて強引に略奪し嫁とした。帰郷してこのことを知った婚約者は失意のまま再び諸国行脚に旅立った。
村人よりこの話を聞いた姫は大いに嘆き悲しみ自責の念から傍の大池(現在の古賀市)
千鳥ヶ池に身を投じ命をたった。村人は姫の心情をふびんに思い亡骸を持ち帰り古里の山頂に懇ろに葬り、その命日八月七日を縁日として今日まで祭り続けて来た。
現在、福津市に千鳥姫の供養のお墓がある。
③ 昔、千鳥ヶ池の淵に棲む親子がいた、母親は、娘に笠をかぶせて、娘の顔をみせないようにしていた。母親が亡くなってから、娘は、笠を取り、池に自分の姿を映し見たその写った自分の髪を見て、嘆き悲しみ、千鳥ヶ池に身を投げた。それから、この千鳥ヶ池の水は枯れることなく、ときには、池底には、家が見えると伝えられている。
④ 昔は千鳥ヶ池は底なしの池と言われていました。 肥後の加藤清正が筑前に黒田長政を訪ねたおり,千鳥ヶ池の話を聞いて,2人でこの池を干してみようということになり,放水路を掘らせました。 放水を始め,やがて池の水が残り少なくなった時,一匹の白蛇が水中から現れ大雷雨と疾風を起し人々は薙ぎ倒されてほうほうの体で泉林寺まで逃げ、和尚から手厚い介護を受けた黒田長政と加藤清正は、軍扇を広げ「この軍扇の範囲の土地を千林寺に礼として遣わす」と言われたそうです。
一方,この池に身投げしても必ず助かると言われており,それは池の主の白蛇が嫌うからだとか。
※今回の公演脚本には、
③の言伝えを 脚色しました。